増補新版 イスラーム世界の論じ方オンラインブックダウンロード

増補新版 イスラーム世界の論じ方

によって 池内 恵


5 5つ星のうち(8人の読者)

増補新版 イスラーム世界の論じ方オンラインブックダウンロード - 内容紹介 日本の言説空間の閉塞状況を乗り越え、イスラーム世界の全体像を理解する枠組みを提示し、真の「対話」の可能性を探る。 サントリー学芸賞受賞作(思想・歴史部門)に新たに8篇の論考を収録し、関連年表を増補、さらに索引を追加した「増補新版」、待望の刊行! 【オビより】 「宗教・文化間の関係に限らず、『他者』とは常にそういった隔絶を含む存在なのだろう。イスラーム世界との『対話』とは、予定調和の地点をあらかじめ設定する従来の方法では相手側に届かないモノローグとなってしまうような、隔絶した存在との困難な交渉であるということを肝に銘じたうえで、それでもなお模索を試みるしかない」(「イスラーム教の律法主義と霊性主義」より) 内容(「BOOK」データベースより) 日本の言説空間の閉塞状況を乗り越え、イスラーム世界の全体像を理解する枠組みを提示し、真の「対話」の可能性を探る。サントリー学芸賞受賞作(思想・歴史部門)に新たに8篇の論考を収録。 著者について 池内恵(いけうち・さとし) 1973年、東京都生まれ。1996年、東京大学文学部思想文化学科イスラム学専修過程卒業。2001年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授。専門分野はイスラーム政治思想史、中東地域研究。 主な著書に『現代アラブの社会思想――終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年。第2回大佛次郎論壇賞)、『書物の運命』(文藝春秋、2006年。第5回毎日書評賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年。第31回サントリー学芸賞)、『中東 危機の震源を読む』(新潮選書、2009年)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書、2015年。第69回毎日出版文化賞・特別賞)など。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 池内/恵 1973年、東京都生まれ。1996年、東京大学文学部思想文化学科イスラム学専修課程卒業。2001年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授。専門分野はイスラーム政治思想史、中東地域研究。主な著書に『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年。第2回大佛次郎論壇賞)、『書物の運命』(文藝春秋、2006年。第5回毎日書評賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年。第31回サントリー学芸賞)、『中東危機の震源を読む』(新潮選書、2009年)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書、2015年。第69回毎日出版文化賞・特別賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る

増補新版 イスラーム世界の論じ方の詳細

本のタイトル : 増補新版 イスラーム世界の論じ方
作者 : 池内 恵
ISBN-10 : 4120048349
発売日 : 2016/5/7
カテゴリ : 本
ファイルサイズ : 20.67 (現在のサーバー速度は19.84 Mbpsです
以下は、増補新版 イスラーム世界の論じ方に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
冒頭と最後の所には論文がおさめられ、残りの部分は、新聞・雑誌に発表された時事的な短文でドキュメンタリー的なものである。論文のうち、イスラム教は宗教と政治を一体化させるものだが、その内実は単純ではない事を指摘した作品が興味深かった。7世紀当時こそ、真に一体化した社会構成体が形成されていたが、領土拡大に伴いそれが無理になって来た。すると、政治の領域から来る必要な物事について、それらの政策が依然としてイスラム教の戒律に違反していない理屈を編み出す機能を宗教は担当する事になった。この既成体制に対して、原点に返り宗教の社会における領域を拡大したり、既成体制から逃亡したりして一体的な社会を作る動きが、いわゆる原理主義だ。時事的な問題に関する著者の意見は、ブログ等である程度知ってはいたが、今回まとめて読んでみて著者の主張をさらによく知る事ができた。まず、日本でのイスラム理解の偏りについての指摘だ。何かの暴力事件が起きるたびに繰り返される、”イスラム教は平和を求める宗教だ”との叫び。これは、字面だけ見れば当たり前そうだが、教徒にとっての意味は違う事に日本では注意が払われていない。イスラム教の持つ最終的啓示としての真理性の主張を前提として、異教徒は当然その優越性を理解して改宗するし、そうで無い異教徒は実力で排除する、その後、イスラムが第一の物として偏在化した平和が訪れると言う意味だ。そして、これをはっきりと断言する信者の立場からの発言も実は増えて来た。このような西欧と日本で前提されている宗教的寛容とはまるで違う、世俗的でない社会とどう向き合うか、が今突きつけられている問題だ、と繰り返し著者は主張する。ただし、はっきりとは言われていないが、これは既に文明の衝突論ではないだろうか。また、解決策は示されない、問題を見つめよ、と言うのみだ。著者は実は、解決策はないと言いたいのではないか。もう1つ指摘されていたのは、日本ではイスラム教理解が足りないと事あるごとに叫ばれていて、イスラムと言う言葉に”教”をつけてはいけない、なぜならイスラームは社会と個人を全体として統合するものだからだ、等と言われるが、これは既に信者の立場だと著者は断定する。さらに、”マホメット”ではない、”ムハンマド”なのだ、と言うような一見理解度が深いような意見も一知半解だと言う。なぜなら、後者のトルコ語発音はメフメットに近く、それが欧米経由で日本に伝わった経緯を考えると、前者もあながち間違いではない。あるいは”コーラン”ではない、”クルアーン”だ、も同じだ。これは、ひとつには、日本でイスラム理解を促す人々は、単なる反米反資本主義の人たちであり、その批判のために中東研究に入って来たから、アラブやイスラム教を理想化するからだ、と著者は言う。これについては、評者もそう感じていた。中東の武装勢力による拉致事件に関して、その勢力に対する批判よりもまず最初に日本政府批判がくるのは、順序がおかしい。最後に、日本でのイスラム教理解が歪んでいるひとつの原因として、井筒俊彦を取り上げているのは、業界的には事件なのかもしれない。井筒は、彼の個人的背景からイスラム神秘主義にのめり込み、イスラム教の律法的側面を無視した。この事が禍根を残していると言うのだ。日本のイスラム教理解の文脈では、彼は批判できない地位に祭り上げられているように、外部からも見えてしまうとは前から評者も感じていたので、この論考には納得した。ひとつ苦言を呈したいのは、トッドの考えを最初から小馬鹿にして、まともに反論もせず、フランス人の性愛を大切にするオブセッションからくる馬鹿な考えであるとして、社会を出生率から理解しようとする彼の考えを全否定している論考がある事だ。読む前から内容が予想でき、ページを繰るたびに笑いが起きる、と言う評は下品だ。これでは著者の批判する人々と同じではないか。

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