地球を冷ませ!: 私たちの世界が燃えつきる前に (いのちと環境ライブラリー)
によって ジョージ モンビオ
4.7 5つ星のうち(2人の読者)
地球を冷ませ!: 私たちの世界が燃えつきる前に (いのちと環境ライブラリー) pdf無料ダウンロード - 内容紹介 地球温暖化による世界の終末を防ぐため、2030年までに先進国の二酸化炭素排出を90%削減しよう!私たちの文明を壊さずに地球を冷ますための、カーボンレス社会実現への行動プラン。 内容(「BOOK」データベースより) 地球温暖化を阻止できる新しい社会とは?本気で地球を冷ますための、現在もっとも先端的なカーボンレス世界へのマスタープランの全貌、待望の邦訳。 抜粋 序章----善意の「他人まかせ」 おまえの仕える神はおまえ自身の欲望だ。----クリストファー・マーロウ『フォースタス博士』第二幕第一場(小田島雄志訳) 本書を執筆することになったきっかけは二つある。ひとつは二〇〇五年五月、ロンドンのある講堂での出来事だ。私はそこで気候変動に関する講演をし、温室効果ガスを八〇パーセント削減しない限り地球温暖化の暴走をくい止めるチャンスはないと述べたのである。三人目の質疑応答のとき、私は回答に詰まった。「八〇パーセント削減した場合、この国の様子はどうなりますか?」これまでそんなことは考えてもみなかったし、考えてみなかったもっともらしい理由も思いつかなかった。しかし最前列より少し後方の席に一人の環境保護主義者がいた。私が最も称賛し、かつ最も恐れている人物マイヤー・ヒルマンである。私がヒルマンを称賛するのは、彼が自ら正しいと考えていることを結果を気にせず主張するからだ。彼を恐れる理由は、ヒルマンの生き方そのものが他者の偽善を映し出す鏡のようだからである。「簡単な質問なので、マイヤーさんに答えていただきましょう」マイヤーが立ち上がった。七五歳だが五〇そこそこにしか見えない。どこへ行くにも自転車を使っているからだろう。小柄で細身、健康そうだ。話すときには直立不動の姿勢で胸を張り、両腕はぴしりと脇につけている。表情には笑みが浮かんでいる。これは挑発的な発言が飛び出すぞと思った。「第三世界の最貧困国のようになりますね」もうひとつは、ちょうどそのころ私が読んでいたイアン・マキューアンの小説『サタデー(Saturday)』(二〇〇五)だ。主人公の神経外科医ヘンリー・ペローンが、スカッシュの試合から家へ戻ってきてシャワーを浴びようとしている。 この文明が終わればついにローマ人は去り(まあこの場合は誰でもいいのだけれど)新しい暗黒時代が始まって、こんなぜいたくな習慣は一番にできなくなるんだろう。身をかがめて暖炉の火に当たる老人の話など、孫たちにはまったく信じられなくなるんだろうな。真冬でも裸で清潔なジェット水流の温水を浴びていたこと、いい香りの石鹸のこと、髪に琥珀色や朱色の整髪料をなでつけて実際よりつやをよくしたりボリュームを出したりしていたこと、保温ラックにはこうしてトーガ〔ローマ帝国時代のゆったりした上衣〕ほどもある大きな厚手の白いタオルがかかっていたことも。 私は本当に、こうした文明に終止符を打つ運動をしていたのだろうか?この小説の主人公ペローンが愛してやまない快適さ、豊かな世界で中流階級に属するすべての人とともに私も当然のことと思っている、この快適さと決別する活動をしていたのだろうか?確かにこの文明には嫌な面もある。嘘は嫌だし、政治腐敗も嫌いである。不平等、不正の輸出、 軍事的冒険、野生生物生息地の破壊、騒音、廃棄物どれもこれも気に入らない。しかし豊かな国の人なら誰でもたいていは、かつての世代が夢見たような生活を送っている。大部分の人が職業を選択でき、余暇の時間もあれば、余暇を過ごす娯楽にもことかかない。スーツ姿でほとんど区別のつかない任意の数の人物を対象に投票もできる。思ったことを考え発言することができるし、聞き入れてもらえないにしても、自由に発言することで監獄送りになることはない。行きたいところに旅行ができる。「衛生学と経済学で許された極限まで」〔『すばらしい新世界』より(松村達雄訳)〕放蕩の限りをつくせる。お望みとあらばカロリーもたっぷりとれる。女性は----なにはともあれ一部の女性は----家事の強制労働から解放された。保健医療も受けられる。子どもたちは教育を受けられる。暖かく安全でお腹も一杯で心穏やかである。ヒト属の歴史の最初の二百万年は自然環境のなすがままに生きてきた。生活が生態系の変動に支配されていたのである。人間は他の動物と変わらず、飢えや捕食関係、天候、病に脅えながら生きていた。その後の数千年の間に農業と穀物貯蔵について原始的な知識を習得し、これまでにない安定した食糧安全保障を享受できるようになった。そしてまもなく、私たちを捕食する人間以外の動物のほとんどを駆逐した。しかし、人間の生活は剣と槍に支配されるようになった。祖先は何より土地をめぐって闘った。作物を育てるためだけでなくエネルギーを得るためにも土地が必要だった。つまり、馬や牛を放牧し燃料にする薪を得るためにも土地が必要だったのである。それから私たちは、化石燃料の持つ可能性に気づくようになった。もう家畜や薪などの環境エネルギー頼みの生活に縛られることはなくなった。三億五千万年をかけて炭素化合物の中に蓄えられた太陽光によって、私たちは環境から自立できるようになったのである。この新しい燃料により経済は成長し、過去に土地争いで無産者となった人々の一部を吸収できるまでになった。工業と都市は活気にあふれた。やがて職場や労働者長屋に強制的に囲い込まれていた無産者は団結するようになった。その結果、土地収奪によって権力を握った専制君主はその支配の手綱をゆるめざるを得なくなったのである。この化石燃料はまた、それまでは想像もできなかった恐怖の戦争へと私たちを後押ししたが、その一方で戦争の必要性を減らすことにもなった。人類史上初、いや生物史上初めて、利用可能エネルギーの余剰が生じたのである。必要な資源をめぐり他者と争わなくとも生存できるようになったのだ。私たちが獲得した自由と快適性そして繁栄は、すべて化石燃料起源の炭素が生み出したものだが、この炭素を燃焼させると気体の二酸化炭素が発生し、それが地球温暖化の主な要因となる。現在の私たちはかつてない最もラッキーな世代である。また将来も、これほど幸運に恵まれた世代は存在しないだろう。生態系に拘束されていた時代と生態系崩壊の時代との幕間、歴史的にみればごく短い幸福な時代を生きているのである。ああ、あの二〇〇五年五月、のほほんとした晴天が続いていた。馬鹿なことに私は、八〇パーセント削減するだけでこの問題は解決できると信じていたのである。講演の後、コリン・フォレストという男から手紙がきた。書面によると私の講演が最新の予測にもとづいていなかったというのである。さらに彼が著した論文も同封されていて(この論文の内容については次章〔五五~五六ページ〕で詳述する)、その議論は文句のつけようがない完璧なものだった。二〇三〇年時点で大気中の二酸化炭素濃度が現在と同じくらい高いままであれば、(産業革命以前の気温とくらべて)摂氏二・〇度の温暖化が生じる可能性が大きくなる。二・〇度の温暖化は、それ以上上昇すれば一部の主要生態系が崩壊し始めるぎりぎりの値だ。この値を超えるとそれまで二酸化炭素を吸収していた生態系が逆に二酸化炭素を放出し始めるのである。つまり、二・〇度以上温暖化すれば気候変動は手がつけられなくなる。人間の活動による影響がなくても気候変動が加速してしまうのだ。フォレストの議論によれば、そこまで気温を上昇させない唯一の手段は、豊かな国が温室効果ガスの排出を二〇三〇年までに九〇パーセント削減するしかない。本書が明らかにしようとしているのは、この九〇パーセント削減が実現可能だということである。ここで「実現可能」と言ったのは、工業文明と両立が可能だという意味である。環境保護運動の中には、現在の状況を維持するのでは目標として無意味だと考えているグループもある。「ノースアメリカン・アースファースト!(North American EarthFirst!)」はたとえば「更新世への回帰」というスローガンを掲げる〔訳註・更新世は約一六〇万年前から一万年前の時代。そのほとんどが氷河期で、人類の出現した時代〕。しかし、いくら裸で走り回って巨大な野牛を追いかけたり追いかけられたりするのがお気に入りだとしても、石器時代経済への回帰を主張したところでそれこそ意味がない。そんな主張が大多数の人々の心を動かすはずがないからだ。農業を主体とした社会の復活、あるいは「第三世界の最貧困国」並の経済への回帰を求めたところで、単なる身勝手な言い分にしかならないだろう。現在の快適な生活に満足しているかどうかはとにかく(こうした生活の解体を主張する者の中から、野生世界で最初に自滅する者が出てくるのではないかと思うが)、政治的に必要なのはこうした生活を続けていける手段を見いだすことである。本書では、炭素排出の九〇パーセント削減を達成する最も痛みの少ない方法を工夫しようと思っている。それは、私たちが快適さや繁栄そして安らぎを求めることと、他の人々の快適さや繁栄そして安らぎを破壊しないために、私たちが自らに課さねばならない制約との調和を試みることである。解決策を求めて研究は始めたものの、最初のうちはうまくいくあてなどほとんどなかったが、今ではこの問題が解決可能であるという確信をもっている。本書は行動マニフェストであると同時に、ひとつの思考実験でもある。その実験対象は中間的な規模の工業国家、英国だ。この思考実験により、現代の経済を維持しつつ現代経済の脱炭素化をはかることがどうすれば可能なのかを示したい。英国とは気候が異なったり経済規模がもっと大きい国であれば、本書の提案を調整する必要はあるだろうが、このモデルならどこの国にでも一般的に応用できると考えている。つまり英国において二酸化炭素の九〇パーセント排出削減が実現できるなら、ほとんどあらゆる国々で同じような方法を使えば、九〇パーセント排出削減が実現可能なのである。議論の対象を主に豊かな国にしぼっているのは次の理由による。豊かな国で生活している私たちが真剣に排出削減することを行動で示せないのでは、貧困諸国に排出の抑制を説教する資格はないからだ。豊かな世界で削減に向けた行動を起こさない言い訳の定番は一言、「中国」である。確かに中国の人口一人当たりの排出量は毎年約二パーセントの割合で増加している。しかし、それでも私たちが排出している量とくらべればその量は小さいのである。中国の場合人口一人当たりにすると、平均一年に二・七トンの二酸化炭素を排出している。しかし一方、英国では人口一人当たり九・五トン、アメリカ合衆国は二〇・〇トンもの二酸化炭素を放出しているのである。この問題で中国人を非難したり、中国の貪欲さのおかげで私たちの努力がむだになると主張したりすることは、単に偽善的というだけではすまない。私が思うに、それは「黄禍」にまつわるかつての私たちのヒステリーが形を変えて現れたものである。本書では、気候変動をなすがままにした場合の影響について検討し、その脅威への対応が非常に遅れている理由を考察したあとで、解決の道を探るためにまず自分の住宅から検討を始める。長年にわたる粗末な建築、貧弱な規制、さらに政治が二の足を踏んでいる結果、私たちの住宅は厳しい気候をしのぐという基本的機能すら果たせなくなっていたことがわかる。既存の住宅を改修し、性能のいい住宅を建築する手法を検討してみて、エネルギー効率をあげることだけでは物理的、経済的限界があることもわかった。続いて、各家庭へエネルギーを供給する最善の方法を決定しようと思う。このテーマについて調査を始めるまでは、大した問題ではないだろうと高をくくっていた。風力を使うか波力、太陽光あるいは核エネルギーやバイオマス〔ここでは化石資源以外の生物由来の燃料のこと〕を利用するのか、あるいはまた発電所の排ガスから二酸化炭素を隔離する方法にするか、どのテクノロジーを利用するかを決定すれば事はすむと考えていたのである。ところが文献を読めば読むほど、問題は複雑になり矛盾も見えてきた。三つの章でこの問題を扱っているが、本書の中で最も技術的で難しい部分になっている。それでも何とか実現可能な道を発見できたのではないかと考えている。次に新しい陸上交通システムにより、移動の利便性をほとんど損なわずに二酸化炭素排出を九〇パーセント削減できる方法を示す。しかし航空交通については検討の結果、有効な技術的処方箋は存在しないことがわかった。この章では、快適性の享受と生物圏の存続を調和させる私の試みはうまくいかなかった。唯一可能な解決策は、航空交通の大幅削減であると結論せざるを得ない。それから二つの産業セクター、小売業とセメント製造業について考察する。どちらも不相応に大量の二酸化炭素を排出している部門である。氷冠を融解させずに、小売業者は商売を続け、住宅建築も可能なラディカルな手段をいくつか提案する。しかも一貫して最も安価で、すでにうまくいくことがわかっていて、かつ現在の生活と一番両立しやすい方法を見いだすように心がけた。多くの人の心に訴えかけることで各々が進んで排出を抑制するようになれば、私が提案する変化は実現するものと信じたい。環境保護主義者の中には、過去四〇年間におよぶ運動の失敗にもめげず、この点についていまだにわかってもらえない人もいるのだが、自分に禁欲生活を課しているだけでは時間のむだなのである。世間では轟音をまき散らしてモンスタートラックをかっ飛ばしている時代に、町まで自転車をこいでいくことにどんな意味があるのだろう?自家用車の所有をあきらめれば、私が購入したはずの車以上にガソリンを貪る自動車を運転する誰かに道路スペースを譲ることになるのは明らかだ。スーパーマーケットの入口から温風が吹き出て歩道が暖房されているような時代に、どうして懐を寂しくしてまで自宅の窓をペアガラス〔二重ガラス〕にしなければならないのか?ラナークシャー州には自宅を一二〇万個のクリスマス用電飾で飾ったと自慢する男がいる時代に、どうしてわざわざ省エネ電球を使わなければいけないのか?(このダニー・ミクル氏は記者らに、使用電力を測るのに工業用の電力計が二つ必要だったと述べている。ある年、このミクル氏のクリスマス電飾のおかげで、彼の住む集落に電力を供給している送電線が溶けてしまった。その集落の名は、これこそ神の存在証明に値すると私は勝手に思っているのだが、コールバーン(Coalburn〔石炭燃やし〕)である)。おそらくあのマイヤー・ヒルマンは別格として、他人に要求したとおりに実際に自分も行動すると断言できる者などいるはずがない。大部分の環境保護主義者は----この点では私自身も含めてだが----偽善者である。私の知っている英国の気候変動活動家は休暇となれば太平洋でダイビングだ。彼女は太平洋まで自転車で行くわけではない。またある友人も有名な環境保護主義者だが、たき火に石炭をくべる。別の生物多様性活動家は来客にマグロのステーキをふるまう。ラスヴェガスで「ガーディアン」紙のインタビューをしたとき、コールドプレイのリードヴォーカル、クリス・マーティンは自らのアルバム『X&Y』についてこう語っていた。「『トゥイスティッド・ロジック(Twisted Logic)』は強烈な怒りをぶっつけたナンバーで、どう生きるべきか、地球とどう付き合うべきか、マジに考えろよって挑発したつもりだ」その数段落後でマーティンは次のように告白している。これからすぐに彼は、 自家用ジェットでパームスプリングスまで飛ぶ。ラスヴェガスから三五分だ。このバンドは可能ならいつでもジェットを使えるようになった。プライバシーが保たれ、高速で移動できるということは、ツアー中でも娘のアップルがしょっちゅう父親に会えるということだ。「本当に彼女には一年中家にこもっていてもらいたくないんだ」と語るマーティン。「アップルが大きくなったら、彼女の好きなときコンサートに顔を見せに来てほしい。学校で『今日は遊べないよ。コスタリカへ行ってパパのライブを見るから』なんて言えたらカッコいいってしょっちゅう思ってたんだ。これにはかなわないだろうね」。 著書『オーガニック・バイブル(Organic Bible)』の冒頭で、自然派園芸家ボブ・フラワーデューは、有機園芸とは「生態系へのダメージを最小限に抑え、資源を有効利用すること」だと述べている。ところがその先では「英国では昔から、〔四月の〕聖金曜日にはたいていそれら[原註・新しいジャガイモ]を作付けることしかできないが、私の場合は自給しているジャガイモを味わえるのです」と豪語している。どうしてそんなことができるのか?暖房を効かせた温室ででも栽培しているのではないだろうか?生態系にやさしい台所用洗剤や洗えるおむつなどを購入している人もいるだろう。ところがそうした二酸化炭素の排出削減を一万倍にしても、飛行機に乗ってしまえばすべて帳消し、せっかくの努力も水の泡となる。そして、どんな信条の持ち主でも、たいていは収入が許すだけ消費してしまうものだ。しかし、それでは環境保護にはならないのである。要するに、これは他の誰かに制約を課せばすむということではなく、私たち全員に制約を課さない限り、本書で私が主張するような変化は実現しないということである。残念ながら、私たちが仕える神、「人間の欲望」という神がなせる破壊を鎮められるのは「規制」という超ダサイ道具をおいて他にないのである。政府を説き伏せて、私たちの生活スタイルの変更を義務づけるように仕向けなければ、人為的な地球温暖化を抑えることはできない。先にも述べたが、化石燃料からの贈り物のひとつは「自由」であった。生き方を選択する自由、行きたい場所へ移動する自由、欲しい物を買う自由が与えられたのである。二酸化炭素の排出を九〇パーセント削減することが、本質的に厳しい制約であることはその通りだ。これは私のでっちあげではなく、科学の要請からすると、そうするしかないようなのだ。しかしこの制約内であれば望み通りに生きる自由がある。ただし気候変動に立ち向かう必要性を、中央指令型経済の口実にさせてはならない。政府の果たすべき役割は活動の制約を設定し、同時にその制約内で最大限の自由を保証することにある。九〇パーセント削減という制約下であっても、政府は国民が可能な限り快適な生活を享受できるように支援しなければならない。第3章で、どのようにすればそれが可能かを説明したい。私が本書を著したのは、読者が正しいと信じていることを確認するためではない。本書の主張はこの問題に関心を寄せている人たちを困惑させ動揺もさせることになるだろう。あいかわらず私は誰彼かまわずけんかを売る質らしい。残念なことだが、巷には気候変動への取り組みに関するゴミのような著作があふれかえっている。しかもそれが善意ある人々による著作なのである。うまくいかないことがわかっている方法を、それが成功するかのように偽装したところで百害あって一利なしである。一例をあげよう。ロンドン郊外にあるかの有名なゼロ・カーボン団地「BedZed」〔「ベディントン・ゼロエネルギー住宅団地」(一四〇ページ参照)〕を設計した環境建築家ビル・ダンスターは、二〇〇五年に最善の住宅リフォーム法を示したという小冊子を出版した。この小冊子によれば、「最大で年間消費電力の半分まで(......)静寂なマイクロ風力タービンで供給できる」。しかしダンスターの風力タービンのスペックというのは羽根の直径が一・七五メートルである。そして住宅の妻〔三角屋根の山形になった壁の部分〕に設置するように提案している。しかもわずか一〇〇〇ポンドというのだから格安のバーゲン品らしい。この小冊子が出た後同じ年に、再生可能エネルギーを支援する雑誌「ビルディング・フォー・ア・フューチャー」がマイクロ風力タービンの分析結果を発表した。同誌の計算によると一・七五メートルの羽根のタービンで生産できるのは、家庭が一年間に消費する電力の約五パーセントである。ビル・ダンスターが宣伝しているように年間消費電力の五〇パーセントを供給するには、直径四メートルのタービンが必要になる。そんな巨大タービンを住宅の妻に取りつければ、タービンにかかる風圧で建物はバラバラになってしまうだろう。同誌はそれほどきっぱり述べてはいないが、この分析によりマイクロ風力タービンは時間と金のむだであることがはっきりした。しかしこの事実を認めると、ほとんどの環境グループでは異端者扱いにされてしまう。本書を執筆していてわかったが、私の直感はほぼ間違いなくはずれる。たとえば多くの環境保護主義者と同じように、私も言うなれば「美的誤謬」(aesthetic fallacy)に屈したことがある。つまり美的で感じのよいことと、環境的に健全であることを混同するという過ちを犯していたのである。たとえば、ロウソクは電球よりも環境にやさしいものと思い込んでいたのだが、それは私の好みであって、そのほのかな灯りが気に入っていたというだけのことだった。エネルギーシステムに関する卓越した教科書を著したゴドフリー・ボイルは、消費電力一ワット当たりで発する光量を考えると、ロウソクは古いタイプの白熱灯とくらべても七一倍もエネルギー効率が悪く、電球型蛍光灯とくらべると三五七倍も非効率であると指摘している。灯油ランプの場合も同じことが言える。ボイルはこう述べている。 驚くべきことだが、一リットルの灯油をエンジン内で燃焼させ、発電機を回して蛍光灯を点灯させるという複雑な過程を選択したほうが、同量のケロシンで灯油ランプをつけるより二五〇~四五〇倍も長い時間照明できるのである。 まったく直感はあてにならない。本書執筆にあたって調査をしている間はこうした驚きの連続だった。本書を刊行した後もこうした驚きが何度も繰り返されるものと確信している。私が気づいたことや私の提案に多くの人が再び取り組み、さらに磨きをかけてくれるだろうから。私が本書全体をとおして心がけたことは、まず第一原理を確認し、真偽がはっきりするまでは一切を信用せず、どんなに魅力的であっても役に立たないテクノロジーはすべて棄却するということである。本書の試みは、何かをやっているように見せかけて痛みを最小限に抑える方法を探るのではなく、痛みを最小限に抑えながら現実に排出を削減する方法を発見することなのである。最も難しい作業のひとつは、誰を信用するかであった。気候変動に関する書籍を著した著者の多くは、その結果として経済的利害関係を持つことになる。第2章(「産業界の拒絶反応」)で検討することになるが、たとえば石油企業が多様な語り口を操って議論するように、こうした経済的利害関係は入念に隠蔽される場合もある。一方で環境保護主義者の場合は先にあげた例のように、検証可能な事実にもとづかず乱暴な議論をすることが多い。なかにはそんな発言が自らの利害関係を裏づけてしまうこともある。もっともそんな連中では隠しようもないのだが。そこで私が自分であみだしたルールのひとつが「商売人は信用しない」ことである。また、さまざまな人々の言説をその出所までさかのぼって追跡することで、信用のランクづけ(階層化)のようなことができるようにもなった。どの解決策ならうまくいき、どの方法ではだめなのかを判断しようとする場合、最も役立ったのは英国王立環境汚染委員会(Royal Commission on Environmental Pollution)や英国上院科学技術委員会(House of Lords Science and Technology Committee)、英国下院環境監査委員会(House of Commons Environmental Audit Committee)などの調査組織や特別委員会、そしてオックスフォード大学環境変動研究所(Oxford University's Environmental Change Institute)やティンダール気候変動研究センター(Tyndall Centre on Climate Change)、英国エネルギー研究センター(Energy Research Centre)、全米工学アカデミー(National Academy of Engineering)といった学術機関である。これらの組織の報告書には数百年におよぶ経験の集積がまとめあげられている。国際エネルギー機関(IEA International Energy Agency)と米国エネルギー情報局(EIA Energy Information Administration)は党派性は強いものの、生データの出所として有益である。また英国政府が情報操作と数値の改竄に深く関わっていたことを考えると私にも驚きだったのだが、英国政府の技術報告書の大部分は信用できることもわかった。どうやらデータは報告書に編纂された後に操作されているようなのである。技術面の進展に関するニュース情報源としては、「ニュー・サイエンティスト」誌、「エナジー・ワールド」誌、そして「ビルディング・フォー・ア・フューチャー」誌が特に役に立った。気候変動の地球への影響について判断する場合、情報の選択は一見簡単そうである。最も信頼できる情報源は論文審査のある学術専門誌で、特に最も有名な学術誌として「サイエンス」と「ネイチャー」がある。ところが、科学とはそもそもそうあるべきなのだが、論争が多く議論の流れも複雑である。つまり「正解」というものが存在せず、語り部が多く内容が日替わりで変化する物語のようなのである。そこで時によっては科学者からなる委員会が概要をまとめる場合もある。最もよく知られているのが「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)で、数千人の研究者を結集し、数年おきに「評価報告書」を刊行している。もうひとつの有益なサマリーは、二〇〇五年に英国気象庁が運営する協議会が提供したもので、さまざまな生態系と人間集団に対する気候変動の総合的影響の分析が試みられている。それでも私が調査した問題が、これらの傑出した組織によってすべてカバーされていたわけではない。いくつかの重要な点については頼れる文献がなかった。第1章で解説する二酸化炭素削減の計算を行うのも、汚染の権利の公正な割り当ての手法を考え出すのも、アマチュアの手に委ねられた。また公的な報告書を読んでも、マイクロ風力タービンが生産する電力量、さらに言えば、国内の送電系統を破壊せずに全消費電力の何パーセントまでを風力や波力、太陽光によって発電できるかについては、まったくわからなかった。したがって、さほど権威のない情報源に頼るか自分自身で解答を導き出してみるしかなかった。データが多すぎる場合もある。信頼できることがわかった複数の組織から相反する推定結果が出され、どちらを信じるべきか判断に窮してしまう場合が出てくるのである。これは特にエネルギーコストの問題で顕著であり、かなりの異論が存在する。このような場合には推定の範囲を示すことにした。 本書を執筆した目的のひとつは、気候変動に取り組む価値があることを読者に納得してもらうことである。一部の人々(とりわけ地球生理学者ジェームズ・ラブロック)は「もはや遅すぎる」と主張しているが、そうではないことを理解してもらえることを願っている。手遅れにならないためにも、気候変動への取り組みに不可欠な政策を導入できずにいる政府を嘆くのではなく、世界で最も強力な政治運動として成長するに違いないこの取り組みに参加し、政府に政策転換を働きかけてもらいたい。それがだめでもまだ希望はある。本書でこの地球の悲惨な状態を知り意気消沈した人々が一日中ベッドに引きこもり、化石燃料の消費が抑えられるかもしれないではないか。 著者について 【著者紹介】ジョージ・モンビオ(George Monbiot)世界規模で活躍する英国のジャーナリスト、環境活動家。その卓越した調査能力、オリジナリティー、論考の深さは広く認められ、英国「ガーディアン」紙の彼のコラムは世界中で読まれている。また彼自身のウェブサイトは、コラムニストのサイトとして世界的な人気を誇る。環境運動での業績に対し、国連「グローバル500」賞をネルソン・マンデラから受賞。オックスフォード・ブルックス大学構築環境学部客員教授。著書に、『Manifesto for a New World Order』 『Captive State: The Corporate Takeover of Britain』他がある。 【訳者紹介】 柴田譲治(しばた・じょうじ)早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。サイエンスライターなどを経て翻訳業。主な訳書にデイヴィッド・T・スズキ『生命の聖なるバランス』、ビル・ランブレクト『遺伝子組み換え作物が世界を支配する』(以上、日本教文社)、ジョエル・レヴィ『世界の終焉へのいくつものシナリオ』 (中央公論新社)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) モンビオ,ジョージ 世界規模で活躍する英国のジャーナリスト、環境活動家。その卓越した調査能力、オリジナリティー、論考の深さは広く認められ、英国「ガーディアン」紙の彼のコラムは世界中で読まれている。また彼自身のウェブサイトは、コラムニストのサイトとして世界的な人気を誇る。環境運動での業績に対し、国連「グローバル500」賞をネルソン・マンデラから受賞。オックスフォード・ブルックス大学構築環境学部客員教授 柴田/譲治 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。サイエンスライターなどを経て翻訳業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
地球を冷ませ!: 私たちの世界が燃えつきる前に (いのちと環境ライブラリー)の詳細
本のタイトル : 地球を冷ませ!: 私たちの世界が燃えつきる前に (いのちと環境ライブラリー)
作者 : ジョージ モンビオ
ISBN-10 : 4531015541
発売日 : 2007/11/29
カテゴリ : 本
ファイルサイズ : 24 (現在のサーバー速度は18.22 Mbpsです
以下は、地球を冷ませ!: 私たちの世界が燃えつきる前に (いのちと環境ライブラリー)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
現代文明を維持しつつ、二酸化炭素排出量を90%削減することが可能かを問います。結論:飛行機以外の主要産業は維持できる。私には信じがたい結論ですが、相当に色々なことを調べ、考えた結論であることはよく分かりました。地球温暖化に対する具体的行動を論じた議論で、ある程度は納得できるものを初めて見ました。さすがは英ガーディアン誌の名コラムニスト。レジ袋を貰わないことを「地球にやさしい」と称するえせエコロジストとはレベルが違います。環境問題を論じるならば最低限このレベルの議論をして欲しいと切実に思います。
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